■ジジイ転がしに生産性は1つもない
秋元康が溺愛するアイドルといえば誰が浮かぶだろうか。おニャン子クラブ時代はさすがにピンと来ないだろうし、チェキッ娘時代なんか1人もいないだろうから、21世紀以降で思い浮かべていただきたい。AKB48の1期生全般、特に高橋みなみとか、それ以外だと松井珠理奈、指原莉乃などが浮かぶだろう。この人たちは単なるジジイ転がしである。手っ取り早く芸能界で活躍するならジジイ転がしになった方がいい。
最近テレビに出る若い女性たちも、基本的にジジイ転がしが多い。年上の男性に突っかかり、年上の男性を怒らせるような女性芸能人はいつの時代も簡単に消えていく。その場で一番権力を持つ人物が喜ぶようなことばかりをするのがジジイ転がしの特徴だ。いかにジジイを転がすかがその女性たちにとって重要であり、そこに生産性は1つもない。そのジジイがいなくなれば、どう動けばいいかわからなくなる。それまでに貯金を行い、いわゆるFIREというやつで芸能界からさっさと足を洗えば何の問題もない。
このような表現をすると、女性蔑視な意味合いを感じるかもしれないが、ジジイを転がさない女性の方を好んでいるだけである。年上の男性におんぶにだっこ、その男性の権勢を利用してとやかく年下に口を出す女性が大嫌いなだけだ。男女平等が叫ばれて久しいが、男社会を利用してのし上がり、女の敵になる女ばかりになるのは勘弁願いたい。
さて、今回は平手友梨奈について書く。平手友梨奈もまたジジイ転がしの1人である。先に言わせてもらうと、あんなコスパの悪い人を応援して何になるのか。。平手友梨奈は天才だ!と何年間も持て囃された割に、費用対効果が悪い。大金を使って大金を得るのがスターの仕事だが、その領域にはいない。競馬における複勝元返しに大金をぶっこむようなものだ。
■お前は何様なんだ!と誰も言わない不思議
平手友梨奈のカリスマ性は誰しもが認める。サイレントマジョリティーが平手友梨奈の最高傑作だろう。なぜサイレントマジョリティーを最高傑作とするか、それは平手友梨奈の独りよがりが一番ないからだ。サイレントマジョリティーで評価を得ると、おのずと自分なりに考え、それを表現するようになる。すると、段々独善的になっていき、おかしなことになっていく。
初期の欅って、書けない?を見ていると、平手友梨奈もそれなりに参加する意識があり、成立させようとしていた。その時期はそれなりに続いていたのだが、握手会で発煙筒を投げ込まれてから一気に状況はおかしくなってしまう。心の傷は相当深いと思われるだけに、周囲が何も言えないのは仕方ないが、加速度的に腫れ物になっていく。けやかけは休みがちになり、たまに出たと思えば他の1期生たちがお伺いを立てる感じになっていき、より独善的、内輪ネタ的な雰囲気になる。
本来ならば、マネージャーだけでなく、色々な大人に「お前は何様なんだ!」と叱責されてしかるべきである。しかし、秋元康は平手友梨奈に転がされている。常軌を逸する転がされぶりである。そうなると、平手友梨奈を叱責する=秋元康を否定するという図式になる。これでは誰も何も言えない。欅坂46は段々と組織的におかしくなり、多くの卒業者を出しつつ、平手友梨奈の卒業で櫻坂46の改名へとつながっていく。
そこまでして平手友梨奈を神格化し、彼女は近年まれに見る天才だ!と言わんばかりに持ち上げるのは不思議でしょうがない。確かにカリスマ性はある。しかし、人の心を揺さぶるような人物ではない。アイドル活動の最初まではまだ人の心を揺さぶるそぶりはあったのだが、高橋由美子よろしく、私は大女優よオーラを身にまとうようになり、変わってしまった部分が大きい。
■挫折なしにドラマは生まれない
平手友梨奈という人は挫折らしい挫折がない。挫折がないことはいいことのように思うかもしれないが、早ければ早いほど挫折を経験した方がたくましくなりやすいから、この時期に挫折をしておいた方が必ず本人のためになる。むしろ挫折をしないように人生を過ごすと1回の挫折が致命傷になるから、1回の失敗すら許されず随分とつまらない人生になってしまう。高校野球で優勝するよりも悔いが残る負けを経験した方がその後の野球人生でいくらでも挽回でき、成長につながる。負けるが勝ちである。
もう1つ平手友梨奈に挫折をおすすめしたいのは、挫折なしにドラマは生まれないことだ。ボートレースの世界に峰竜太という男がいる。鮮やかなターンを繰り出し、賞金王のタイトルも獲っている。しかし、昨年のグランプリで下手を打ち、自らのYouTube企画で予想屋と交流を持ってしまい、4か月間の出場停止を食らった。久しぶりのB級となったばかりか、神がかり的な好成績を残したところで都合1年以上はSGに出られない。しかし、峰竜太が出るレースになると売り上げが急増し、配信を行っていれば閲覧者がSG級の多さになる。
峰竜太は、同姓同名の俳優がいることですぐに知名度を獲得し、元々人気レーサーではあった。しかし、出場停止以降、どん底から這い上がろうとする姿に多くの人が共感しているのかもしれない。日本人は他人の失敗を嬉々として受け入れる一方、それ以上に他人の復活劇もコンテンツとして楽しむ。それはそれで生産性がないとは思うが、日本人とはそういうものだ。平手友梨奈に足りないのは、どん底に落ちるような失敗である。
その失敗は自身のスキャンダルなのか、取り巻きの失態なのかはわからないが、ジジイ転がしの腕の見せ所として、一発でも不倫をかましておけば簡単に叩かれてどん底まで落ちるだろう。そうなれば、素直に平手友梨奈の実績を評価する人が増え、這い上がろうとする姿に対して頑張れという声援が増えていくはずである。私失敗しないので!が持て囃されるのはフィクションの世界だけで、ノンフィクションの世界では単なるうっとうしいバカに過ぎない。失敗しても私は応援する!というスタンスをとっていくべきだろう。
■失敗にも避けるべき失敗がある
高校野球のたとえで、悔いの残る負けをしておいた方がいいと書いたが、その象徴的な存在が松坂大輔である。1997年高校2年生の時、神奈川県予選において自らの暴投で負けてしまった。ちなみに、この時にキャッチャーを務めていたのが上地雄輔である。本人にとってはかなり悔いの残る負けであったことは間違いない。それが翌年になると横浜高校は春夏連覇を果たす。特に夏の優勝は劇的な試合があまりにも多すぎた。当時横浜に住んでいたので、横浜高校の優勝報告会にも行った。あの熱狂ぶりは子供ながらに覚えている。昨年の悔しすぎる負けをしっかりと返した。だからこそ、これだけの熱狂になったのだ。
暴投という失敗はマウンド上での焦りが誘発する部分も大きいし、技術的な要素、フィジカルも無視できない。これらが改善されたからこそ、PL学園の死闘に勝ち、明徳義塾に奇跡的な勝利を果たし、決勝戦でノーヒットノーラン勝ちを果たせた。改善すればパワーアップできそうな失敗はどんどんしていくべきである。
若手女優が失敗するパターンは、たいていは男関係、もしくはスタッフへの応対、あとは主演作の不振である。男関係を乗り越えて円熟味につながるのは30を過ぎてからなので、一時的な失敗ではあるが長期的な成功のきっかけにもなる。スタッフへの応対は致命的で、失敗同行の問題ではなく不治の病だろう。主演作の不振もなかなかだが、これは三歩下がってやり直すしかないし、下がった場所で結果を出せば簡単に復活できる。勝負はその時である。平手友梨奈に対して言いたいのはスタッフへの応対で下手を打つことだけは避けてほしいことだ。いつまでもいると思うな秋元康である。

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